◆踊りと旅寸暇を惜しみ楽しむ。

盆踊り、若い男女は袖ふれ合う、公認の社交場、季節は正

に真夏、開放的、特に若者は粋な格好姿の見せ場です。目

と目で通じあえる魔法の様なロマンのプロローグがあち

ら、こちらにあった。

この頃上方では歌舞伎、大相撲、浪花節興行もありそれら

の噂評判は行商人から伝わり一度はこの目で見たいと思

う、その人は人目を忍ぶように隣街堺、或いは河内長野へ

行く、其れ等か狭山の人々の娯楽風景であった。

  

狭山の村は静かな田園のただずまいを静かに保っていた。見せ物小屋、劇場等はなくてもいまも自然と共存する。

朝を告げる鶏、豆腐売りの笛の音は消えていても100年前の人の行き交い等その面影は今も残る。

春みじかし....力ある乳を手にさぐらせぬ。

堺生まれの与謝野晶子は上京し女の情念を臆面もなく歌集で発表し

た、東京狭山の間は物理的距離、地域差と共に自己感情表現の濃淡の

隔たりも想像以上のものがあった。   

それでも村なりに仲間と集う娯楽共同体を講と称して楽しんだ。所謂

伊勢講、天神講、御詠歌講等等実に11の講が数えられる。旅行同好

会、コーラスグループと言える。御詠歌講には流派があり今で言えば

ボーカルリーダーがいて村内の各家庭等で行われた仏事のアトラク

ションに招かれ人の世の地獄極楽のエレージをカンタータで演じてい

た。

西高野街道に出征兵士を鼓舞さす軍歌も勇ましく流れ、人びともくち

ずさむようになっていた。

 


狭山の今昔へ][むかしのすまいへ][木綿と絣へ][季節の食べ物へ][狭山の祭り][100年前の狭山に戻る