摂河泉を中心に近畿の諸平野で、綿の花が栽培され、河内木綿、大和木綿、
松坂木綿の名を持つ綿織物を産出。堺に紡績工場があった。山本の一部でも
明治の終わりまで商品作物として栽培されていた。木綿の絣は、ほとんどが
紺色地で、藍染めによって丈夫になり、汚れが目立たず素朴で温かみのある
文様が表され庶民に好んで用いられた。茱萸木に紺屋があった。