藁屋根の民家 |
■藁屋根は権力の象徴? 一般庶民は藁屋根の住居 明治になって士農工商の身分制度はなくなったといっ ても、封建社会の狭山の住民の殆どは農家で、それもご く限られた地主と、少数の自作農で、大多数は小作農で 極めて苦しい生活であった。住居は四間取り型(田の字 型)の農家が多く、居室は六畳または八畳四間取り、室 に沿って土間があり、土間の一隅に台所ー藁や薪を燃や してご飯やおかずを炊く"かまど"<へっつい>ーが設けら れている。屋根は切妻造りで、藁葺きである。天井裏は 台所用の藁を積んだり、炭団(たどん)を造ってほす場所 にもなった。 |
■庄屋の家でも、瓦屋根は庇と座敷の部分だけ 吉川家は旧半田村の庄屋である。江戸時代初期の建築 と伝えられる。妻入りと呼ばれる様式で、居室は八畳四 間取り(田の字型)、江戸中期以降の増築といわれる座敷 八畳ニ間からなる。屋根は入母屋造り、庇と座敷の部分 は本瓦葺きであるが、主屋の身舎(もや)は草葺きー現在 はその上にトタン板をのせているー天井は竹を編んだ簀 子(すのこ)天井である。屋敷の構えも江戸時代以降の姿 をよく残している。道路に面する南側に長屋門をおき、 門を入ると広い前庭がある。形式は極めて古く、農家の 形態がよくわかるとともに江戸時代の手法をよく伝えて いる。(大阪府指定文化財) |
![]() 吉川家住宅(大阪府指定文化財) |