狭山ニュータウンの今昔

メガロシティ大阪市の郊外住宅都市として声価が高い人口約57千人の大阪狭山市

 その中核が、南海電鉄を中軸に開発された

狭山ニュータウン

昭和40年初頭から逐次入居とショッピングセンター及び各種商業店鋪の進出、学校・病院・金融機関等を始め公共設備及びバス路線の整備が進捗して「生活至便、周囲に自然を残した住宅都市」の姿を見せています。

この大阪狭山市の100年前はどんなだったろう?

 大阪狭山市の100年前は狭山村と三都村と言う二つの村からなっていたと言えます。

南海電鉄の前身、高野鉄道が開通したばかり、電灯も一般家庭には無く、大きな狭山池を中心とした農村でした。

狭山ニュータウンも100年前雑木林の丘陵地帯だったようです。

鳥類はもちろん野兎などが多く住み、春は櫻が咲き誇り、夏の夜川辺には螢が飛び交い、秋にはトンボが群れ飛ぶまさに自然そのものが目に浮かびます。 

 

便利な住宅街に住んでいて、わずかに残る雑木林や小さな川を見て、何となく昔のままの丘陵地帯が、野原が、谷間があったらなあと思うのは、それこそ贅沢でしょうか?

[開発前の狭山ニュータウン想像写真]

雑木林と雑草茂る丘陵と小さな


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