大阪アメリカ村にて



通称『アメリカ村』が「紀州御坊」と、もう一つ大阪にもあるのを御存じだろうか。南区は鰻谷、大宝寺、両東西之町、西清水町、周防町、八幡町、南北、両炭谷町と約50軒のアメリカものを商う店の集落をいう。
「昼は太陽の下、夜は昔風のイルミネーション」デザイナー鴨居羊子さんがそう書いている。(産経新聞)関西的色彩の濃い街なのである。「梅原龍三郎、安井曽太郎、小出楢重と続くその色彩の粘っこさ、あでやかさが形を替えてアメリカからやって来て若者の心をとらえたのだ」と鴨居先生は託宣される。すべてが大阪的感覚でありと仰言りたいのであろうと私は思った。しかし街のあちこちに東京ナンバーの車が駐っているところを見ると東京センスの移入もあらねばならぬ。
先日、私がここの三角公園の際で油絵を描いていたら、一人の娘さんが私の絵の製作をだまって見ていたが、小一時間もしてから、突然こう云うのである「センセ、私の裸を描いてくれませんか?」私は仰天した。見ず、しらずの、今会ったばかりの娘さんと私なのに。なんと、思いきった事を云うものだ!さすが、名にしをうアメリカ村だと感激した。これは実話である。娘さんの名も、住所も日記帳にメモしてある。
又、御堂筋を東へ渡って、周防町が近頃俄に、賑々しくなって来た。アメリカ村に対抗して、ヨーロッパ村が出来たのだ。散策する娘達の両村のファッションバトルを見るのも一興だろう。
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この文章、今から20年前のアメリカ村であることを御承知願いたい。このあと、2篇程、アメリカ村を繰り返し書いているが、この当時のアメリカ村が懐かしい。記事は俳句誌「山茶花」に連載され、17年間もつづいた。挿し絵もその時の、アメリカ村の「ムード」を、描いているので、昔のアメリカ村、現在のアメリカ村とが見て頂ける訳だ。
昔のアメリカ村は、一寸ハイカラな、可愛い雰囲気であった事を思い出す。
今は一寸、喧騒にすぎる。通り過ぎていく車が無礼だし、男の子たちの服装が、いやにきたない。私は、昔のアメリカ村がすきで「年齢」かまわず、一週間に一度はここを訪ね来て、若い人たちの呼吸使いを味わっていたものだ。挿し絵を味わって欲しい。時には、少年少女たちと話し合ったものである。
先の裸の女の子とは,あとでコーヒーを喫んだが、彼女の申し入れは「割勘」であったことも、アメリカ村らしく、サッパリしていたのは痛快である。その後、この子とは一度も顔を会わす事はなかった。もう、ひとかどのママになっていることだろう。