銀河鉄道とお題目



能勢電鉄の妙見口からケーブルやリフトを乗り継いで、妙見山に来てみると北摂の山々の晩夏の風景が目に快い。妙見山教会の山門。柱に「二つ割」の木札が貼ってあり、右、大阪府能勢町、左、兵庫県川西町と矢印がついている。一跨ぎで、府県境を左右出来るので、何度も門の左右を跨いでは、大阪や兵庫県よと子供見たいに、ふざけていたら、同行して来た長男に怪我でもしたら、窘められた。
山頂のせまい平地が、法華経日蓮宗のメッカである。寺あり道場あり、宿坊もあり、郵便局ありで門前町をなしている。修剣道場もあるから、正しくは『修剣の町』であろう。霧が湧いて俄に肌寒くなって来た。
さて話は唐突で恐縮だが、9月21日は賢治忌である。私は偶然、宮沢賢治56回の忌日に、この寺に杖蹟を印する幸を得た。宗務所で、頂いた新聞で賢治が熱心な日蓮宗の信者であることも知った。「雨ニモ負ケズ」は余りに有名だが、あの何ともハイカラな「銀河鉄道」の作者でもある賢治が、38年の生涯を、ひたすら唱題行の実践者であったとは、私に大きな驚きであった。彼の死後に発見された遺書には、「この一生の間、どこのどんな子供でも受けないような厚い御恩を頂きながら、いつもわがままでお心に背き」と仏恩の深さに感謝し、詫びている敬虔な態度を実に美しいものと思った。あの宇宙的視野の大詩人の在念を、このお山で偶然発見した事実は、あちこち取材行の内で、今回が一等、感動的のものであったのである。宮沢賢治氏は写真で見る風貌しか知らぬが、あの新しい文学で」さへも、或いは彼の信仰の叫びなのか、強い信仰から来る美しい文学であったのか。
この大阪、兵庫、京都、三国に跨がる当寺からの風景は、すばらしい。あの良寛でさえここに一泊し、宝塚の山寺へ渉っていることも、或いは御縁と云うしかなかろう。
良寛は、新しい詩を詠み、美しい文字を残しているなど、たしかに美しい御縁である。因に私は60年来のキリスト教信者であることも白状して置く。