江戸は八百八町、大阪は八百八橋、いずれも数を競っていたが大阪の橋はもう残り少ない。江戸堀や薩摩堀に架かっていた勾配の強い橋が私には懐かしい。冬の夕暮れ、茜の空に寒い雲でもかかっていようものなら最高に美しい風景であった。先年、私は、この種の橋を捜して、安治川の端建蔵橋から、とうとう南の道頓堀、戎橋まで来て、川もない、橋もない大坂にがっかりして、足に痙攣を起こして、へなへなと座りこんでしまった滑稽な経験がある。もういい橋はないから、大正ロマンの固まりみたいな建物。大阪中央公会堂をお目にかける。中ノ島公園のテニスの喚声も時折聞こえてくる。のどかな一角である。丸い屋根の緑青が、何とも云へぬ。ところで、最近この「建物」が橋や川のようにつぶされるかも知れぬと聞いて、私は仰天した。そのニュース源は、さる権威ある団体役員である友人の茶話であるが、出が出だけに信憑性が高い。公会堂は株式岩本房之助氏の大阪市への寄付で建った。同氏がたまたま病を得て入院中、商業上の失敗もあって、病窓に、その上棟式を遠くから見ながら、ピストル自殺を遂げたという壮烈なエピソードもある。大正七年(一九一八)岡田信一郎氏の設計、当時、学生であった同氏の応募作品である。宝塚歌劇もいち早く、この公会堂で公演。他にヘレンケラー女史、満州国皇帝など出演のイベントも記録に残っている」。常に時代を反映しながら今日まで生きながらえて来ている記念でもある。それをつぶすなんて、誠に酷!うそであってほしい。何度も修理しながら、現在も現存していることこそ芽出度いのに。