昭和16年12月08日の朝、ラジオから「本未明、帝国陸海軍は西大平洋において米国
および英国軍と交戦状態に入れり」という、アナウンサーの緊張した声が響いた。
当時、国民学校二年生であった私もなんとなく「大変な事が始まった」と感じたものだ。
東京を初め66の都市が焼け野原 となり80万人余が死傷した |
灯火管制、空襲警報、防空演習、B29爆撃機による 爆撃、都市の壊滅など、戦争の非情さ、残虐さをこの 身で実感させられた。
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3 日本無条件降伏昭和20年8月15日の正午「耐え難きを耐 え、忍び難きを忍び・・・」 という天皇陛下の玉音放送がラジオで流れた。 雑音で十分聞き取れなかったが、日本が戦争に 負けたことを知る。
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![]() 投降する日本兵(沖縄戦) |
![]() 平和の礎(沖縄・摩文仁の丘) |
4 大平洋戦争での死者数内訳 軍人・軍属 212万1000人 民間人 外地 30万2510人 国内 29万9485人 |