日本への旅立ち

 

 

 

 

 ニースでお世話になった日本の大学生とは、その後もお付き合いが続きました。

 グループの一人は、その後わが家を訪問してくれましたし、彼の紹介でパリのソルボンヌ大学に留学していた彼の友人達も、私の家に遊びに来てくれたり、わが家の日本とのかかわりは、想像の中の日本のイメージから、次第に現実のものになってきました。

 私は大学で声楽を学びましたが、こうして日本への憧れはますます募り、オペラのアリアを学ぶかたわら、数多くの日本の歌曲を色々な場で発表してきました。

 山田耕作や滝廉太郎の曲は、歌詞は十分わからないまでも、私の気持ちを高揚させたり穏やかにさせたり、まだ見ぬ日本へのやみがたい思いを更に強固なものにしました。

私は決心しました。日本へ行こう!日本で私の人生を、実りあるものにしたい!こうして私は、1979年も終わりに近づいた頃、日本へ向かうジェット機の機上の人になったのです。

 この日本へ向けての旅立ちは、スムーズなフライトでしたが、私の心は未知なる世界への強い好奇心に昂ぶる気持ちと、愛する家族にしばしの別れを告げた寂しさが交錯して、とても複雑な思いにとらわれていました。