地方に残る衣の風習


人生の節目の最後に葬式が行われる。その時の服装は、今程黒にこだわる事がなく地味な普段着であれば

何でも良かった。身内のものは、白い着物や紋付袴を着たという。                 

市内のいくつかの地区では、死んだ人の着物を家の庭の隅に北向きに干して、新わらで袖口などを竿に 

とめ、毎日乾かないように裾に水をかけると言う風習がのこっている。塩水の所もある。(岩室)    

是は三途の川を渡りやすくするためだと言う。山本地区では死んだ人の普段着を使い、長く床に就いて 

いた人の場合は寝間着を、そうでない人は日常に着ていた人の着物を使ったと言う。         

西池尻地区では死んだ時に着ていた着物を使うと言う。この着物を干す時期が死後すぐや、出棺後、又、

干し続ける期間が一週間から35日迄と多少の差異が見られた。もうひとつ出棺後に死者が着ていた着物を

屋根の上に放りあげる習慣が見られた。これらの意味は不明である。                

岩室では死者の布団は、満中院までにはさみを使わずに洗い張りをし、綿を打ち直し、皆で分けたという。

古着を売ったお金で線香を買って供えた。このようなしきたりを受けて、洗濯物の裾が汚れても決して 

裾だけ濡らして洗ってはいけない、夜露に当ててはいけない、といわれている。私も結婚当初北向きに 

 干していた洗濯物を、干し直された事があったけ、と若き日を懐かしく思い出した。         


戦後の洋服

「昭和30年頃の家族写真」

 

  戦後すぐの衣生活のことをタケノコ生活と言った。

 身に着けているものから剥いで、食べるものに変えて

 言ったからだと言う。

 大阪市に比べて比較的食べ物のあった本市でも戦後は

 このような状態であったと言う。

 こう言った時期が過ぎて初めて生活にゆとりが出始め

 たのは昭和30年代頃であったという。


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