現在は特別な行事以外和服を着ている女性は少なくなったが明治、大正の頃は、ほとんど和服の生活であった。
女性の仕事着は木綿の和服が多く、農作業をする時は、着物の裾を短くするために身上げをした。
この事を、茱萸木では着物をカラアゲルといい、東野や大野ではタクシアゲルといった。
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太平洋戦争中には、袖の長い着物を着ている人は非国 民といわれ、女性の服装として着物で作り替えたモン ペが主流になった。よそ行きのモンペは、銘仙の着物 を上に着て、帯でモンペを作って着ていた。太平洋戦 争以前に嫁いだ人の話によると、一生分の着物を持っ てくるのが通例で、この中の物を中心に、毎年の着物 を着廻ししたと言う。現在の使い捨ての時代とはかな り違うようだ。今、地球上では資源がどんどん不足し 自然環境もとても悪く、人の生活を脅かしつつありま す。私達も、もう少し物を大切にする生活を、考えな ければいけないのではないでしょうか。 |
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