夏の通勤 (60年代)

 

1959年「最早戦後ではない」といわれていた頃、大阪へ出てきた。田舎暮らしをしていた私には、「な

んば」を通る夏の通勤で堺までの行き帰り、人ごみの中を通るのに仕事以上に疲れた。その後6年、狭山

に住み、永住地と決める。狭山は、適当な田舎で、田舎者の私には凄く住み心地の良い街である。   

                                        


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