こんなすまいだった

         藁屋根の民家

 

藁屋根は権力の象徴? 一般庶民は藁屋根の住居

 明治になって士農工商の身分制度はなくなったといっ

ても、封建社会の狭山の住民の殆どは農家で、それもご

く限られた地主と、少数の自作農で、大多数は小作農で

極めて苦しい生活であった。住居は四間取り型(田の字

型)の農家が多く、居室は六畳または八畳四間取り、室

に沿って土間があり、土間の一隅に台所ー藁や薪を燃や

してご飯やおかずを炊く"かまど"<へっつい>ーが設けら

れている。屋根は切妻造りで、藁葺きである。天井裏は

台所用の藁を積んだり、炭団(たどん)を造ってほす場所

にもなった。

 

 

こんな家もあったよ

庄屋の家でも、瓦屋根は庇と座敷の部分だけ

 吉川家は旧半田村の庄屋である。江戸時代初期の建築

と伝えられる。妻入りと呼ばれる様式で、居室は八畳四

間取り(田の字型)、江戸中期以降の増築といわれる座敷

八畳ニ間からなる。屋根は入母屋造り、庇と座敷の部分

は本瓦葺きであるが、主屋の身舎(もや)は草葺きー現在

はその上にトタン板をのせているー天井は竹を編んだ簀

子(すのこ)天井である。屋敷の構えも江戸時代以降の姿

をよく残している。道路に面する南側に長屋門をおき、

門を入ると広い前庭がある。形式は極めて古く、農家の

形態がよくわかるとともに江戸時代の手法をよく伝えて

いる。(大阪府指定文化財)

 

吉川家住宅(大阪府指定文化財)


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